海底歩行

こえびがだらだらどうでもいいことを書いちゃうブログ。

灰と精霊

 森のどこかで木が倒れる音がした。大きな音だった。一つの文化が終わる音だった。私は、もう二度と動かない友を背負ったまま、煙を吸わないよう姿勢を低くする。どこからか放たれた火は集落全体に瞬く間に広まり、人々の血を舐めてますます赤く燃え上がった。夜中だというのに明るいこの森のなかで、住み慣れた家々はぶすぶすと音をたてながら黒い煙を吐き、炎とともに私たちに襲いかかる。急がねばならない。友の亡骸を背負いなおし、悲鳴と炎を潜り抜けて、私は集落の外れを目指す。妻を、迎えに行かなければ。


 もう随分と昔のはなしだ。別の集落と大きな争いがあって、多くの民が命を落としたとき、まだ幼かった私や妻、多くの人々が、亡骸から抜け出し空へと昇ってゆくたくさんの光を見た。争いが終わってから3日目の夜、積み重なって山のようになった亡骸を、順番に埋めているときだった。空中をふわふわと漂うその小さな光は、蛍のようにも見えたが、蛍のようなあたたかい、生命力にあふれた光ではなかった。ちらちらと降る雪のような、冷たい光。真っ暗な真夜中の森の中で、それはそれは美しい光景で、誰もが黙ってその光に見惚れていたのを覚えている。しばらく空中を漂っていた光たちは一斉に空高く舞い上がり、二度と降りては来なかった。
 それからこの地では、死者の亡骸は必ず死後3日経ってからではないと埋葬してはならないという決まりができた。死者は、3日目の夜、精霊になって空へ飛び立つ。


 集落の外れにぽつんと建っている小屋の奥で、妻は眠っている。小屋の入り口に友を寝かせ、ずらりと並んだ棺の蓋をひとつひとつ開けて回った。死後3日経って、あとは埋葬を待つだけの亡骸たちばかりだった。2日前に死んだばかりの妻はまだ精霊になれていない。今ここで亡骸を燃やしてしまえば、二度と精霊になれないだろう。なんとか妻と友の2人の亡骸を背負って、この森から離れなければならないというのに、火はもうすぐそこまで迫っている。逃げ場がない。
 最後の棺に手をかける。妻がそこにいた。冷たい体で、青い顔をして、こころなしか浮腫んでいるような気がする。しかしどんな姿になろうとも、そこにいるのは妻だった。間違いない、私の、大事な妻だ。

 頭上から大きな音がして、熱が私たちを包んだ。風にのって火が木から木へと移り、この小屋まで燃え移ったらしい。天井がすぐ近くに落ちてくる。炎に周囲を取り囲まれて、逃げ道をなくしてしまった。ああ、ここまでだ。風に煽られ、細かな灰が空へと一斉に舞い上がった。私は咳込みながらその光景に見惚れた。不思議と美しいと思えた。私は硬くなった妻の体を抱きかかえ語りかける。ほら、見てごらん。


「灰が精霊のようだ」



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大学生の頃、学祭用に執筆したSSでした。ファンタジーむずかしい。